世の中にもの申す 23 index

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建て主と設計事務所の紛争

RKさんという学生さんとやりとりした『建て主と設計事務所の紛争』についてのメールです。


1999/10/09/03:37 RKさんからのメール

”みんなの建築”というホームページの中の書き込みで、建築家を目指す学生として、憤りを感じずにおれない内容のものがあったので、見て頂きたいと思い、以下にアドレスを記しておきました。御時間がありましたら、ご覧になって下さい。
http://***
どうにかして、この家を設計した建築家を処罰したいものです。


1999/10/09/06:14

RKさんへ

>建築家を目指す学生として、憤りを感じずにおれない内容のものがあったので、見て頂きたいと思い、以下にアドレスを記しておきました。

URLにあったサイトを読みました。RKさんは何に憤りを感じましたか ? まず、それを聞きたいと思います。

>どうにかして、この家を設計した建築家を処罰したいものです。

この設計者を処罰することはその施主が訴訟に持ち込むくらいしか手がないと思います。しかし、多分、建設会社との和解くらいにしかならないでしょうね。

・・・と、ここまで読まれると『冷たいじゃん!!!』なんて思われるかも知れません。しかし、この問題にはいろいろの要素が絡んでいます。

まず、現在の建築界のあり方に問題があるでしょう。学生を含めて設計事務所も「コンクリート打ち放し」にある種のあこがれをいだいています。確かに安藤氏の打放しはシンプルで美しいものです。しかし、躯体を50cm近くの厚さで打っています。普通の打放しはそこまでの寸法を経済的にもスペースの問題からもとることができません。よって、クラックによる漏水や結露に悩まされることになります。また、打放しは一発勝負なので完璧に造ることはまず不可能なことは頭に入れておくべきでもあります。型枠パネルの目違いやジャンカなどない建物は造ることは不可能でしょう。安藤氏のように躯体幅をすごく取ってさえジャンカはあります。

施主の要望で「打放し」だったようですが、設計者としてはまず、その問題を伝えるべきだったでしょう。その上でお客さんが「打放し」を選んだ場合は、ある程度覚悟して貰わなければならないですよね。しかし、プロとして最前の努力を惜しまず、施工図のチェックや現場監理を行うことは言うまでもありません。私はお客さんが「打放し」を要求してもなるべく抵抗しています。サイトの「一通のメールから」の6/9のメール参照

「雨漏り」は施工の責任・「結露」は設計の責任(またはミス)と言われています。しかし、トップライトが危険なのは設計者の頭にあるべきですし、また、断熱ができないために結露の危険も増します。

ペアガラス+合わせがラスくらいしていないと不安で仕方がないですが、この建物は写真を観る限りそういう性能は持っていません。これだけでなく建築雑誌を飾る格好いい建築の殆どといっていいくらい、そういう仕様の建物は観たことがありません。唯一、磯崎氏が石川県でやっているくらいです。私のサイトの「観た建築の感想」「中谷宇吉郎雪の科学館」参照

配管の不具合などは完全に施工のせいでしょう。しかし、監理しているではないか、という疑問がわきますが、それについては現場常駐でない限り、発見は無理ですし、監理業務にはそこまでの作業は含まれていません。(契約書でそこまでうたっている場合は責任範囲になりますが、殆どそういうことはありえません)、竣工検査でそれを発見するのも多分無理でしょう。(当然、水を流しての検査はします)なんとなく繋がっていて使っているうちにはずれるというのはよくある話です。ですから、普通は引き渡してから一年目に「一年検査」を呼ばれるものをやります。一年たって四季を通り過ぎたらだいたいの不具合は出てくるからです。そこで具合の悪いところは手直し工事をしてやれば、その後はそんなに問題がないのが普通です。

ドアの取手が違うなどというのは、当然検査の時(まぁ、普通はその前にわかるけど)に発見できるはずです。私は、必ずお客さんに竣工検査に立ち会って貰います。専門家では常識で通っていることでも、素人のお客さんにすれば気になる事っていっぱいあるからです。検査の場で言いたいことがあれば全部言ってもらって納得するようにするべきでしょう。しかし、そういうやり方をしている事務所を残念ながら私はあまり知りません。

お客さんが知らない内に仕様が図面と変わっていたりするのは、建築家にありがちですね。その方がいいだろうと勝手に解釈してやってしまう。というのは良くあります。私は全てお客さんのOKを貰わない限り施工させませんが・・・。

あと、現場合わせの精度の悪い家具などは、施工図のチェックをきちんとしていないか、家具屋さんのできが悪いかどちらかですが、私にはどちらのせいだったのか想像できません。どちらの場合もありえますから・・・。しかし、取替になっていないところを観ると、設計者の施工図のチェックミスの可能性は高いですがね。

RKさんはかなりこの件について憤慨されていますが、多かれ少なかれ建築家と呼ばれている人たちも同じ様なことをしています。「世の中にもの申す」の一ページ目参照

雑誌を観ていても住めないような住宅が殆どですが、そういう設計をする建築家が、学生に人気があるのも事実です。そういう意味で私はサイトでもの申してきているのですが、世間を変える力があるとは思えません。これからのRKさん達が変わっていってくれないと・・・。

一つ、最後に最近学校を出てすぐに事務所を開設する人もいるようですが、建築は50代でまだ若手と言われるには理由があって、それくらい勉強しないとどうしようもないくらい難しい仕事なのです。その設計者は5年の修行で独立しています。ちょっと短いよねと思います。T建設に5年いたらしいですが、大手にいても設計・積算・現場監理などは分離作業(だと思う)ですから、設計監理者としての勉強の時間は足りないと思います。特にああいうプールがあったりなどの難しいものは・・・。


前ページと同じく実物を知らないため(実際に観ていないと言う意味)また、設計者を糾弾する場でもないので URL は消してあります。これを話題にしたのはそのサイトに『21世紀の建築家諸氏へ』と書かれていたからです。私達、設計に関わる者はお客さんとこういう関係にならないように、よく話し合いまた自分本位な設計をしないように心すべきだと思います。このサイトでは目的がこれからの建築家をめざしている人たちへの、施主サイドからの警鐘という点では、納得できますし、実名を公表しているわけでもない(雑誌を調べればわかるけど)そういう意味で、前ページの例とは内容が違うと思います。ただ、打合せの不備と設計の問題と監理の問題と施工の問題とを区別することが必要ではないかと思いました。それをごちゃ混ぜにするのは論点が曖昧になるのではないかと感じたことを付け加えなくてはならないでしょう。
1999/10/10/07:53

RK さんへ

例の住宅のH氏からメールがありました。

>そのページを見てくれた人から、「そんな建築家ばかりではないよ」と貴殿のページを教えてもらいました。

との事でした。私の思うところを書いて返信しましたが、私自身いつ同じ様なことをするか(意図的ではないにしても)についての恐怖は以前からありました。

前川氏が打放しを諦めて、打込みタイルを外壁に使うようになったのは有名な話です。今では学校でそういうことを伝える先生もいないと思いますが・・・。ある時期建築界では、打放しがはやりました。丹下氏が庁舎を造っていた時代です。前川氏はその性能を果たさない欠点に気付き、方向を転換し建築界は、打放しを捨てました。

それから何年かしてそれを知る建築家は歳をとり、上記のことを知る人々は前川系列の事務所の所員くらいになった頃、安藤氏が打放しでデビューしました。これはきっかけであったと思います。安藤氏がやらなくても誰かがやったと思います。建築の学校をでていない安藤氏が打放しを復活させたところが面白いし納得できるものがあります。きちんと成り立ちを教える事務所に勤めている人からは、打放しは復活しなかったのではないかと思います。
RKさんの意見を聞きたいと思います。


1999/10/11/00:18

こんにちは。RKです。まず、御忙しい中、自分の意見を直に建築界の先輩に聞いて頂けることに感謝します。

憤りを感じたのは、その建築家の不誠実さ・いい加減さ・自分を世間に売ることに必死で、肝心の顧客の心をつかむことを忘れている点などです。自分は満足だけど、顧客は満足していない・・・というところでしょうか。また、自分の両親が以前My Homeを建てた経緯を私は見てきているだけに、施主のMy Homeにかける情熱を踏みにじったことに憤慨しています。

次に、自分は”コンクリート打ちっぱなし”において、きれいに仕上げる事がどんなに難しいことであるかについて全く知りませんでした。雑誌において安藤氏の壁は完璧に見えます。実際に安藤氏の建築を見にいった際、さほど壁について注意深く見ていなかった為か、欠損部分等に気付きません(素人目にはわからないのかな?)でした。
また、安藤氏をはじめとして、今の建築の流行は”コンクリート打ちっぱなし”で、自分をはじめ、多くの学生は”打ちっぱなし”の難しさを知らずに、ただただ憧れを持っているのは事実です。特に現在の私に関しては、「(サッカーの)中田が使用しているスパイクだから同じスパイクを買う」のと同じ感覚で、大学の課題で”コンクリート打ちっぱなし”の素材を選択しています。でも、単純に「美しい壁だ」と私は感じます。恥かしながら、まだその次元なんです。

ところで、私は遅れ馳せながら、昨日は初めて「一言もの申す」等のサイトを拝見しました。建築界の裏事情を知れたり、非常に興味深かったです。また、おもわず吹き出すコメントもあり、楽しみました。

自分の意見を求められると、なかなか答えられず、自分の意見の無さを痛感しました。しかし、このようなメールの交換は非常に勉強になります。今後もよろしくお願いします。


1999/10/11/02:14

RK さんへ

>まず、御忙しい中、自分の意見を直に建築界の先輩に聞いて頂けることに感謝します。

いや、とんでもない。今、横浜国大の大学院2年生と電機大学の3年生とメールを交換していますが、返事を書くことによって自分の考えをまとめたり、見つめ直したりする時間が持てることは、私自身のためになっていると思います。たまに、サイトのネタにも使わせて貰うし・・・。この話題も、使うつもり。

>憤りを感じたのは、その建築家の不誠実さ・いい加減さ・自分を世間に売ることに必死で、肝心の顧客の心をつかむことを忘れている点などです。自分は満足だけど、顧客は満足していない・・・というところでしょうか

いつも、その辺で悩みます。僕の思っているとおりすれば格好いいし、使いやすいはずなのに・・・(でも、使うのはお客さんですからね)。あぁ、これで賞が遠ざかった。雑誌に載らないなぁ。と。この二つの選択で将来建築家になれるかが決まってくるとなるとちょっと、スケベ心が出てきてしまいます。しかし、性格上それはできないので、まぁ、今のところ建築家にもなれそうもないけど、お客さんには喜ばれています。

>また、安藤氏をはじめとして、今の建築の流行は”コンクリート打ちっぱなし”で、自分をはじめ、多くの学生は”打ちっぱなし”の難しさを知らずに、ただただ憧れを持っているのは事実です。

それは、仕方のないことですね。でも、情報として得られればまた違った見方ができるでしょうから、いいのではないでしょうか ?

>雑誌において安藤氏の壁は完璧に見えます。実際に安藤氏の建築を見にいった際、さほど壁について注意深く見ていなかった為か、欠損部分等に気付きません(素人目にはわからないのかな?)でした。

はっきりジャンカやコールドジョイントはわかります。表側にでることは少ないけど(神経をかなり使っているから)しかし、姫路文学館なんかははっきり表の方にでています。多分観た中ではあれが一番ひどいかも知れない。


1999/10/11/04:13

こんばんは。RKです。メールありがとうございます。

>たまに、サイトのネタにも使わせて貰うし・・・。この話題も、使うつもり。
 

あっ、”世の中にもの申す”のコーナーにそれらしきタイトルを見ました。うれしい限りです。

>いつも、その辺で悩みます。僕の思っているとおりすれば格好いいし、使いやすいはずなのに・・・(でも、使うのはお客さんですからね)。あぁ、これで賞が遠ざかった。雑誌に載らないなぁ。と。この二つの選択で将来建築家になれるかが決まってくるとなるとちょっと、スケベ心が出てきてしまいます。しかし、性格上それはできないので、まぁ、今のところ建築家にもなれそうもないけど、お客さんには喜ばれています。
 

自分にも”有名になってやるぞ”という野心はあります。お客さんに満足してもらいつつ、世間に広く認められるというのが、一番の理想ですね。

少し気になったのですが、長村さんは建築家ではないのでしょうか?これは、”建築家”の定義にもなってくると思うのですが、建築士と建築家とは別ものなのでしょうか?そういえば先日雑誌に大阪建築士会が建築家の資格を規定した・・・というような記事をちらっと見たのですが、どのようにお考えですか?


1999/10/12/05:41

RK さんへ

>あっ、”世の中にもの申す”のコーナーにそれらしきタイトルを見ました。うれしい限りです。

もう、ばれちゃってましたか ? イニシャルにするから許してね。

>自分にも”有名になってやるぞ”という野心はあります。お客さんに満足してもらいつつ、世間に広く認められるというのが、一番の理想ですね。

野心(または、目標)を持たなければ進歩はないですからね。僕も有名になってやると思ってやっています。
しかし、その手段が難しいですね。磯崎氏も言っています。最初の案がベストで、それが打合せを重ねていく度に壊れているのを観ているような気がする。と。

>少し気になったのですが、長村さんは建築家ではないのでしょうか?これは、”建築家”の定義にもなってくると思うのですが、建築士と建築家とは別ものなのでしょうか?

『建築士』は資格からの定義ですね。ですから私は建築士です。『建築家』というのは定義がないですね。それぞれの心の中に定義があるのではないでしょうか ? 僕は、作家事務所に入ってすぐに先輩の一人を観て(池原研のひとです)あぁ、僕は建築家の器ではないと思いました。努力で追いつかないものを感じてしまいました。そういう人が作家事務所の中で居場所を見つけるのは大変です。能力がないと思ってあきらめるか、それともただ努力を続けるか ? 私はどちらも嫌だったので、技術者になることにしました。建築家をサポートする技術者です。しかし、ただ諦めたわけではなく私なりに考えたのは

建築家のレベル        *******************
技術者のレベル ************
だとすると               ↑この辺の技術者をめざせば、レベルの低い自称建築家より上になれるのではないか。と。それで、設計後現場常駐になるような物件の担当者に積極的になるようにしました。で、作家事務所が弱い現場監理のツボを押さえることができるようになったわけです。そんなわけで、造り方がわかったので、現場が17:00で終わってから事務所に戻って他の物件を手伝って詳細図をどんどん描いていました。それは、独立した今となってはすごく役に立っています。技術者として・・・とは言っても、やはり建築家への野心を捨てたわけではなく一つ一つの物件を丁寧に計算して造ることによって、いつかは建築家に・・・。と思っています。僕にとって建築家の最低条件はやはり『学会賞』をとることでしょうか。しかし、学会賞を取った人でもひどい建築を造っている人もいますから、あくまで最低条件です。建築の団体には五つあって、建築学会、建築家協会、建築士会連合会、事務所協会、建設業協会ですが、それぞれの団体に賞が設けられています。私は建築士会連合会賞を取りましたが、これから先もっと他の賞も取っていきたいと思っています。実力はとにかく目標として・・・です。

>そういえば先日雑誌に大阪建築士会が建築家の資格を規定した・・・ような記事をちらっと見たのですが、どのようにお考えですか?

多分、建築家協会の近畿支部だとおもいます。私は、建築家協会に入会していません。それは入会料・年会費が高いというのも理由の一つですが、自分たちを『建築家』と呼びあっての集団に見えるからかも知れません。
建築家を一級建築士のような試験で分類するのは可笑しいというのは当然ですが、『認定』するとすれば、認定する人がいるわけですね。その人に建築家としての判断能力があるかというと ??? ではないでしょうか ?
自分より実力のない人に審査されてしまう可能性もあって、そんなの困りますよね。結局、建築家という言葉は、日本では自分の心の中の問題なのではないかと思います。ですから、建築家になれるようにいつも努力して勉強していく事が大切で、多分一生追い求める目標なのだろうなと思っています。そういうわけで『建築家』などと呼ばれると、赤面してしまいますし困ってしまうのです。僕が一番嫌いなのは、自分のことを建築家と平気で口に出す人です。大高氏や磯崎氏・槇氏・黒川氏・・・・なんかは当然その資格はあると思いますが・・・。でも、自分では言っていないと思うけど・・・。


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