世の中にもの申す 7 index

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今回、珠洲の住宅の見学会をする予定で参加者を募りました。

ところが参加したいという人の中で、建築の意匠設計者は一人もいませんでした。
(まぁ、見る価値がないと判断されたとすれば、それはそれで仕方がないのですが)
そう言えば、これまでに私の設計したものを見に来てくれたのは、静岡県・愛知県・茨城県・福井県・広島県と遠方からも来て貰っていますが、みんな建築の素人さんでした。建築のプロは(建築賞の審査を除けば)東京都と県内1人だけ。

以前、先輩(大高建築設計事務所の先輩ではない)が、「若いうちは建物を見に行くけれどだんだんと見に行かなくなるよ」と言っていた。この真意は私には分かりませんが、「そういうこと言ってるから、いい設計できないのは当然じゃない」と心の中で思っていました。(いい設計というのはまた難しい話になるので、いずれまた)

建築を見学するということは、「うまい」部分があったら「ぱくる」のではなく、刺激を求めてということです。人間が一人で頭をどれだけ働かせても、所詮たかが知れています。建築を観て、その設計者が頭の中で考えたことをトレースする事は、すごく勉強になります。「多分設計者はこう考えてこう図面化して、施工者はこう作りたかったんだな」と眼を閉じて建築物が完成するまでをトレースします。次に「私だったらこうしているな」と自分に置き換えてもう一度トレースしてみます。その結果は目の前にある建築より悪くなることもあり、その場合は「なるほど、○○氏はやはりうまいねぇ。さすが建築家だ」、ときにはどう考えても私ならこうするな・・・と思った方がよくなる場合もあります。その時は「ちょっと、勝ったね」と嬉しくなったり・・・。
設計事務所で仕事をしているときは、「あの仕事をしたい」とか「ここをこう設計したい」と思っても、なかなか自由にならないもので、それだけでは設計能力は磨けないのでは・・・。私自身は、建築を見に行って「仮想の設計」をしてみることは随分勉強になったと思っています。

でも、他の設計事務所の人はそう思っていないようで・・・
彼らは、一体勉強しているのか ?


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