建築設計事務所の仕事 過去掲載分-01 work index

page2

 
1999/02/01 設計っていい仕事 ?

1998年の約半年あまり、住宅の監理をするために広島で暮らしました。1ヶ月に一度金沢に戻り、能登の現場監理をまとめてしていました。これで普通の設計監理料では事務所をやっていけるわけがありません。そうです、私は税金を払っていません。・・・というか収入が少なすぎるので払う必要はないのです。ははは。でも、よくしたもので、打合せにいくと「米持っていくか ?」・「魚持っていくか ?」・「野菜は ?」  ははっ 現物支給 !


設計するとき考えているのは「自分が住みたい家」

あぁここでビール飲んだら気持ちいいよな・・・ とか。この風呂だと1時間でも入っていたくなるよな・・・っていった風に。でも、実際自分の家を設計するときは、お客さんの家で怖くてできないような実験をしちゃうから・・・多分住みにくい家になると思う。


この仕事をしていて嬉しいのは、完成してから1年目の検査が終わってお客さんちのデッキでワインなんかごちそうになっているとき。建築賞に応募するためのファイルの完成間近。写真を貼っているときおもわず手を止めて写真に見入ってしまう。

その他は、大変だ。
見積書をあちこち見ながら減額の為お金の計算ばかり。現場の間違いを指摘して、やり直しを指示するときの気まずさ。せっかくかっこいい設計案がどんどん変更されて、「はて?この建物で今回は俺何をテーマにしていたんだっけ」と気付くとき。でも、お客さんに 「いいよー」と笑顔で言われると、そんなこと忘れてしまう。


1999/02/01 アイデアはいつどこで ?

アイディアをひねり出す方法は、人それぞれで「うんこしながら」とか「運転しながら」とか「ボーとしながら」などなど。 僕はというと、夜、布団に入って眠りに落ちる寸前のうつらうつらしている状態の時に、アイディアが浮かびます。新しい設計を始めるときには、そんな時に「今回はこういうテーマでやってみよう」とか「こういうディテールにしよう」等というアイディアがでてきます。というわけで、その状態を作るために眠る時間が多くなってしまいます。和泉はただ「ぐうたらなだけだ」と思っているようで、「よくそんなに寝られるわね」と呆れています。

先日、そのうつらうつら状態になったときに、変なことを思いつきました。殆ど夢を見ている状態でした。コルクボードを何枚も重ねて貼り合わせて、それを削って「フォルクスワーゲン」を作りました。・・・で、

「コルクで作ったフォルクスワーゲンだから、これをコルクスワーゲンという名前で大々的に売り出そう。結構受けるぞ !」

と、ご満悦状態だったのです。はっと我に返り「うーん、これ本当に受けるかも知れない !」と横で寝ている和泉を起こし、この話をしたら「まぁ。マニアにはね」という冷静な返事。 つまんねぇやつ。  そんなに面白くないですか ? タミヤさん売り出しませんか ? プラスチックよりエコロジーですよ  って、そんなわけないか


1999/02/01 竣工写真について

竣工写真は、三輪晃士さんにお願いしています。科学博の時からのおつきあいです。地元の、建築写真を撮る会社に一度頼んだら、三輪さんとの差が分かりました。光の演出が全然違うんだもん。こうなると値段のことなど言ってられないのです。建物のいい部分を引き出すために「こういう意図で設計したんだ」という話の中から、アングルと撮影の時間を決めてもらいます。・・・で、どうなるかというと、光の加減が一番いい瞬間の「時」を切り取って貰えます。

できたプリントを観ると、我々の職業と似ていると思います。我々は、敷地を観て、そこから得られる一番いい空間を切り取ろうと努力するし、三輪さんは、建物を観て、そこから時間を切り取ってくれます。

三輪さんのお父さんは、晃久さんといって「われら地球人」という写真集で有名で、すばらしい本です。


1999/02/01 壁と窓について

知人に大竹山 規(おおたけやま ただし)さんという画家がいます。大高事務所に入ってすぐの頃ですから、もう15年以上前のことですが、知っている人に個展の案内をいただいたので、銀座の画廊まで見に行きました。リアリスティックでストイックな画でした。その時から、「こんな画に似合うような建築を作りたい」と思っていました。
谷口建設の社屋では、この壁には、大竹山さんの画を架けたいから こういう壁仕上げにしよう・・・などと考えながら設計しました。竣工後、画をかけるとぴったり壁にあっていて、その画がなければ寂しいし、他に架けるところがないか、いろいろやってみたのですが、やはりその壁でなくてはなりませんでした。

私たちが設計するときには、壁を大切にします。お客さんは、「とにかく窓を・・・」と言い張って、ちょっとした壁をみつけては 「ここにも窓を・・・!!!」と要求されますが、インテリアに必要な光が入る分だけ開ければいいと思います。全ての部屋が明るい必要はないのです。その部屋の使い方によっては、ちょっと薄暗い方がいい場合もあります。建物が完成してから、壁の開いている部分を選んで画を掛けたりするのではなくて、「ここは画を掛ける壁」「ここは家具を置く壁」 というふうに、最初からその壁の性格を決めておく事が必要です。窓も同じで、ただ壁に穴を開けてサッシュを入れるのではなく、この窓はどういう役割になっているのかを見極めることが大切です。


1999/02/01 電話の応対について

我々の事務所は、石川県の金沢市にあります。広島の住宅の設計図が完成したときに、どこから見積もりを取ろうか・・・と途方に暮れました。お客さんのつきあい関係の建設会社が、2社あったのですが、設計事務所推薦を1社探そうと思っていました。新建築社の「住宅特集」のバックナンバーを洗って、私の好きな広島の建築家「村上徹」さん設計のものを何度か施工している会社を抜き出しました。何度か施工している  というのがミソです。

建築家が設計したものを施工するのは大変だと思っています。普通の設計事務所が設計したものを施工するより何倍もの手間がかかるからです。それを一度ではなくて何度も施工すると言うことは、その手間のかかる施工をきちんと仕上げて、お客さんや設計者に満足して貰っているという事だと思います。

・・・で、その抜き出した数社の中から、さてどれに電話しようか・・・と悩んだのですが、鉛筆を転がして選んだ一社目。地方の名もない設計事務所からの電話に、すごく丁寧に応対して貰ったという理由で後の残りには電話しませんでした。結局、見積もりを取った後、施工はその野村建設株式会社に決定して、すばらしい施工をして貰いました。

電話の応対というのは大切だなぁと思った一件です。全ては、一本の電話から始まるのかも知れないのですから。


1999/02/15 お客さんの気持ち

広島で住宅をやったとき、設備工事は第一工務店という会社に施工して貰いました。そこの向井さんという職人さんは、素晴らしい人でした。設備の器具、例えば洗面器とか水栓を取り付けるのは、建築工事が殆ど完成してからです。向井さんは、「お客さんの気持ちになってね・・・」と言いながら、仕上がった床のフローリングに厚手の毛布を敷いてそっと工具を並べていました。

当たり前と言ってはそれまでですが、作業中に、そんなに丁寧に工具を置く職人さんを見たのは初めてでした。普通、はもっとがちゃがちゃさせながら施工されて、私の方が 「床に傷が付かないかなぁ・・・」と思ってしまいます。

お客さんの気持ちになって・・・というのは、大切なことで、初心を思い出したような気がしました。


1999/02/15 建築写真の嘘

先日、竣工写真を撮ったときに、人がいる風景と建物だけのを比べてみると、人物の写っている方がかなりいい雰囲気になりました。I邸と谷口建設社屋の図面には、 「mik architect planning office」 製作の人物データを使いました。これも、人物を描く前と後では、随分雰囲気が違って見えました。

建築雑誌をみると、図面には家具さえ描いてない建物が多くて、インテリアは生活感無く、嘘の世界が掲載されています。建物のための雑誌だからというのは、言い訳ではないでしょうか ? この本を見て設計を依頼する人もいるでしょうに・・・写真では、すっきりしていたけれど、実際はものがあふれて・・・ まぁ、お客さんの方も悪いんでしょうけど。でも、女性雑誌の「痩せる」なんとかの、使用前、使用後の写真みたいで、建築雑誌もいい加減だと思います。

そういえば、写真に撮って格好の付けにくい、浴室・洗面所の写真は少ないし、ましてや、神棚が写っていることなど全くない。若い世代の住宅ならまだしも、神棚をおく家もまだ多いはずなのに・・・きっと「格好悪いから、写真を撮ってから、取り付けて下さいね」 とお客さんに言っているのでしょうね。

今回のNO邸では、神棚は写真に写しますし、家具が入って、住み始めてから写真撮影を行います。広島の住宅は、竣工後1年が経ったので、そろそろ写真を撮影して貰おうかと思っています。


1999/02/18 竣工図について

現在施工中の住宅が完成に近づいて来たので、そろそろ竣工図を揃えなければいけないな・・・と思っています。現場では、設計図に基づいて施工していくわけですが、お客さんの要望によって変更が生じたり、メーカーや施工者との打合せによって寸法を変えざるをえないこともあって、元の図面と寸法や仕上が変わってしまいます。そこで、設計図を修正して、実際施工された通りの図面を作ります。その図面を「竣工図」と呼びます。ところが、その竣工図作製を設計者自身でやっている。  ・・・という人にはまだ私は会ったことがありません。で、誰がやるかって ? 施工者にやらせているのです。 まぁ、引き受ける施工者も悪いのかも知れませんが、設計事務所に言われて断ることのできる施工者もまれかも知れません。

当然、その建物が完成すれば、現場の担当者には次の現場が待っているのですから、そんな図面の修正なんかやりたいはずはありません。直してないと「ばれそう」なところだけ訂正して・・・・ということになり・・・改修工事の時に、「現場が図面と違うなぁ ???」 になるのです。設計事務所にとっての、成果品は 「設計図」 であって、われわれにとって図面というのはすごく大切なものです。だいたい、その図面を他人に修正させるという気持ちが、私には理解できません。

図面を大切にしない設計事務所に、いい建築が創れますか ?


1999/02/18 建築の寿命

磯崎新氏が設計し1960年に完成した大分県にある医師会館が取り壊されようとしています。

友人は 「やった仕事がずっと残るから、やりがいのある、いい仕事だね」 と設計のことを、そういってくれます。でも、世界的な建築家がやった仕事でさえ、たかだか40年で命を終えようとしています。コルビジェが設計したラトゥーレットの修道院では、ペンキの色さえ設計された当時から変えていないそうですが、これは、木造が日本の伝統的な建築の姿で、スクラップ&ビルドが容易だった日本と、石造が主体だった国との差なんでしょうか ?

経済性だけで語れないものもあることを、その決定者は知らないのでしょうか ?

金沢市の市役所も昔は、味のある緑錆の噴いたドームのあるいい建物だったのに、何十年か前に建て替えられてしまいました。今建っている市庁舎には、何の未練もなく取り壊したとしても、私は文句言いませんが・・・

黒川紀章氏が、カザフスタンの新首都のコンペを勝ち取りましたが、建築家が、都市計画をやるのは分かるような気がします。

都市計画は、永遠に残るのですから・・・


1999/02/22 竣工検査

工事が完了すると、役所の工事完了検査と設計事務所の竣工検査があります。役所の検査は、法規的に満足しているか ? という検査なので、大した問題はありません。ちゃんと設計し監理しているのですから。問題は、私たちが行う検査です。なにせ、細かいのです。「工事金額を私が払うとした時に、それで満足できるか」 という視点で検査を行うのですから・・・

たいていの人は、本屋で雑誌・・・たかが、来週か来月には捨ててしまう・・・を買うときにさえ、一番上に置いてある、ちょっと表紙が折れ曲がっているのを見ると、その下の 2冊目を選んでしまいます。捨てると分かっている物を買うときでさえ、ちょっとの傷も嫌なもんです。

だから、何千万円という買い物を、お客さんの代わりに検査するのですから・・・それは、大変ですよね。どういう検査をしたかを報告するだけでは、後から、「この仕上はこれでは気にくわないんだけど・・・」 なんて、言われることがあるので、私は、必ずお客さんにも立ち会って貰うことにしています。その時に、お客さんから、技術的に無理な精度や過大な要求を言われることがあるのですが、「それは、○○○な理由があってこの施工は正しいのです」 と理解して貰います。私たちは、お客さんにお金を貰って仕事をするわけですが、あくまで第三者の立場として検査をする必要があります。ですから、「それはお客さんの要求が間違っています」と言う場合もありうるわけです。そんな問題が生じないように、現場での施工途中には、施主(お客さん)・工事監理者・工事施工者の3者が、実物を見ながら、現場でよく話し合って、それぞれの誤解が生じないようにしていく事が大切です。

「塗装の色」や「タイル」・「クロス」等はメーカーのサンプル帳ではなく、実物を取り寄せて選ぶべきだし、左官の塗り仕上げの程度なんかになると、現場で実際に塗って貰って決めることも大切です。「木」は実物を見て決めるしかありません。木目や節は一本一本の木で、違うのですから・・・

そうなると、お客さんの作業も多くなるのですが、設計事務所に依頼するということは、そういうものなのです。それが面倒だという人は、住宅メーカーの「今年の最新モデル」をカタログから選べばいいのです。メーカーでは、最新モデルとか新型とか名前が付いているのは、住宅を商品として販売しているということです。我々が設計し監理するのは、フルオーダーの住宅ですから・・・


1999/02/25 ○○について

公共工事で、ゼネコン(総合建設業)の○○が、新聞を騒がせることがあります。ところが、設計事務所の○○が表に出ることがないのは何故なのでしょうか ?○○が表に出て公正取引委員会に挙げられる・・・のは、殆ど内部告発に依るらしいのですが、ということは、設計事務所の結束が堅いと言うことなのでしょうね。

公共工事では、殆ど(小さい金額の工事を除いて)入札という方法で、施工者が決定されます。設計の場合でも殆どが入札で決められるのですが、「特命」という方法がとられる場合もあります。美術館など建物の性能は当然で、その上にデザイン性も必要な建物の場合、建築家を名指しで依頼することです。名もない設計事務所は、「指名願い」を提出し、運良く ? 指名に入れば、○○が待っています。

 ○○をしている人が口を揃えて言うには
「○○は必要悪だ !」
「○○をしていない人はいない !」 
「○○をしないで喰っていけるか、おまえ、もう少し大人になれよ !」

残念ながら、僕はそんな大人になりたくありません。国民にとってもしそれが本当に必要なら、建設関係者で法律を変えて貰うように努力して、○○ OK の法律をつくってから正々堂々とやればいいのに・・・それが、大人ってもんじゃないですか ?息子さんや娘さんに「私は、こういうことをしているけれど、やましいことはない」と胸を張って言えますか ?

地方で○○している設計事務所で、私にとって参考になるような建物を設計しているところは、ありません。何故かと考えてみたのですが、そりゃ順番を待っていれば仕事が来るのですから、技術的な勉強をしなくなってしまうのでしょう。一所懸命するのは、政治的な勉強とゴルフだけか ?本来、設計者というのは、技術的な勉強をし、職人さん達に「ここは、こういう理由で、こう造れば性能があがるんだよ」といったふうに、現場で指導する立場だったはずで、だから「先生」と呼ばれることもあったのです。ところが、今の設計事務所は、政治家の「先生」と同じ意味でそう呼ばれていることに、気づきもしない。○○しているうちに、頭も鈍ってしまったのでしょうか ?

ところが、このところの不景気で、民間の仕事が減り、皆さん役所仕事が欲しいため、○○に応じず安い金額で入札に望む人が多いとの事です。 意外なことが原因で、○○が減っているようです。

私は、○○するのが嫌なので、今まで指名願いは出していませんでしたが、こうなってくると出そうかな・・・などと思ってたりします。


1999/03/04 発想の転換 ?

味の素のテレビCMで・・・
「寝る前に食べると太るからなぁ」とケーキを前にした女性が食べたそうに言っている。
突然 「寝なきゃ良いんだ」と叫んで、バクバク食べ始める。  というのがあります。

発想の転換 ?

構造事務所に「これではもたない、もっと梁を太くしないと・・・」
設備事務所に「パイプスペースは、もっと広くしないと・・・」
格好をとるか性能をとるか悩むことがあります。最終的には当然性能をとるわけですが、それでかっこ悪けりゃ僕たちの仕事の意味はないわけです。「こうやればどうなる?」「じゃぁ、こうすれば、どう?」 しつこく諦めないでやっているうちに、うまくいくことが多いのです。後で「あのとき諦めなくて良かったなぁ」と思うことがよくあります。こちらは、「良かったなぁ」なのですが、構造事務所と設備事務所は、多分「早く諦めてくれよ」と思っているに違いないのですがね。

まぁ、バクバク食べたケーキがおなかに付くのは、いくら発想を転換しても無駄だということは、和泉で証明済みです


1999/03/08 お客さんとの関係

お客さんと家具を見に行って来ました。・・・と言っても、殆どの家具は設計して「造りつけ」なので、椅子関係だけですが・・・「住む空間」は、いくら建物が頑張っていても、家具やその他の調度品で、雰囲気が違ってきます。

「このテーブルには、どういう食器が似合うか ?」
「この飾り棚には、どんな花器にしようか ?」
「この壁に掛ける画の大きさは ?」
「座布団カバーの色は ?」
「夕涼みするために、ここにこういう椅子を置いたらどうだろう ?」

建物の完成が近づいて、家具調度品を揃えるときに、「相談に乗って欲しい」と言われるのは、とても嬉しいことです。設計監理の仕事に含まれない作業ですが、建物をより生かすためにはどうしたらいいかの相談ですから・・・そういうことを相談されると言うことは、お客さんが建物を気に入ったという証拠でもあります。今回は Yチェア6脚・アリンコチェア2脚・ドリアデ2脚 で決定しました。リビングの座布団カバーは、竣工祝いとして和泉がつくることになりました。 


1999/03/08 対面キッチン

「対面キッチン」を望むお客さんがいます。あこがれだ・・・と云うのですから、それで設計しますが、本当にそれでいいのですか ? 確かに、リビングダイニングと連続した空間が確保できるので、広く感じることは出来ます。でも、キッチンからの汚れはかなりのものであるはずです。それが、空気中に拡散するのですから、リビングにも・・・・食事の後、お客さんをリビングに通すと臭いが残っているので、空間ボリュームをとってやって、少しでもこもらないようにする必要があります。雑然と見えがちなので、整理整頓する必要もあるでしょう。

キッチンをオープンにしたとき、リビングから冷蔵庫が丸見えになっていることが多いですね。いくら、「この空間が・・・」などといっても、冷蔵庫などの家電製品は、その空間をぶちこわしにしてくれます。色といい・・・形といい・・・どうしてあんなに格好悪いのでしょうか ? かといって、システムにしてしまうと、選択の自由度が低くなってしまうし・・・

対面キッチンにしたい・・・と云われると、「臭い」「汚れ」「家電製品をどうやって目立たなくするか」に苦労します。キッチンを別に設けるならば、設計作業は、すごく楽なんですけれどね・・・

まぁ、それを逆手にとってうまく処理するのが、「良い設計者」といえるかも知れませんが・・・難しい


1999/03/15 サービスの満足度について

1999/3/7のテレビで、サービスと顧客への満足度についての番組-特命リサーチ200X-がありました。( あの芝居は臭いのですが、内容はおもしろい )

あるサービスを受けたとき、お客さんのうち60パーセントが満足し、40パーセントの人が不満足と感じるそうです。これは、サービスの質にはあまり左右されないとか・・・これは、「いくら頑張っても文句いうやつは必ずいる」ということで、ちょっとがっかりさせられますが、統計でそういう結果が出ている以上、多分現実はそういうことなのでしょうね。

不満を持つ40パーセントの人の中で直接文句を言う人は、その中のたった4パーセントにすぎないとか。あと残りの人はどうするかというと、黙って他社のサービスを受けるそうです。満足していた人たちが、「あそこの会社(またはお店)はいいよ」と、他人に口コミで宣伝してくれる効果は、1人当たり3〜4人程度らしいが、不満を感じていた人が「あそこは、ひどいよ」と悪口をいいふらすのは、一人当たり12人位と、3倍の勢いで悪口が広まるらしい。

100人が、あるレストランで食事をした時、満足する人は60人、その味かまたはサービスが気にくわなかった人で、直接文句を言うのが1.6人、文句は言わないが、次は他のレストランに行く・・・38.4人、ということです。100人の内、たった1人か2人しか文句を言わないから、その文句を言った人の方が特殊に感じられるけれど、実際は潜在的に不満な人が多いことにそのレストランは気付いていないことになる。満足した60人は240人にその店をほめる。不満を持つ40人は480人に悪口を言う。

ヒェーッ こわ〜ぃ。

そこで、サービスをする側としてはどうすればいいかというと、サービスの質をあげるよりも、不満を持ちそうな可能性のある人に不満を抱かせないようにしていく方が、ずっと効率がいい、ということになるらしい。

これを設計・監理に生かすとどうなるんだろ・・・?
細かいことでも、一つ一つお客さんに確認していく・・・ことはやっているが・・・・これでいいの ?


1999/03/21 百貨店付属の美術館

セゾン美術館が1999/2/15に閉館しました。8月には新宿の三越美術館も閉館の予定です。

百貨店併設の美術館は、「美術品を見に行くのか、人の頭を見に行くのかわからん」と言われながらも、アートの庶民への普及に一役かっていたのは否定できないでしょう。美術品を所蔵しないために、当然のこと企画展示が殆どですが、不況の影響で、売り上げダウン、来店者ダウン。それに追い打ちをかけるように、公立の美術館が整備されてきたこと。収蔵品がないことと、財団法人などではなく、単に企業の一部署であることで撤退が容易だったこと。いろいろな要因で閉館が決まったと思われます。

企業が文化面に力を入れることは、ある意味利益の還元だったのでしょう。還元する利益が出なくなったから・・・と、すぐに切り捨てるのは何とかならないでしょうか ?雇用されている側からすると、「文化面に金を出すくらいなら首を切るな」という反論は当然だと思いますが、そのまえに、バブル期に本業ではなく土地や証券から金を増やそうとした経営がなければ、こうはならなかった・・・ことに気付くべきです。

このやり方は、成金おやじ的発想です。株で儲かったから、画を買ってきて友人知人に見せびらかす。株で損をしたから、その画を売っぱらちゃった・・・的です。
結局、企業は本当のところ、文化の普及に一役かいたい・・・という、社会の役に立つ的、高尚なことを考えていたわけではない・・・ことが、今、ばれちゃったのです。

ベネッセコーポレーションの直島コンテンポラリーアートミュージアムなど、企業が文化の普及のために力を入れている事業は、美術館以外にも多くありますが。そういう事業まで縮小されないことを祈りたいと思います。

性能や効率だけを求める世の中では、我々のような付加価値を与える無形の職業は成り立たないからです。


1999/03/25 レストランのサービスに学ぶ

ソムリエの田崎真也氏は1995年世界ソムリエコンクールで優勝したことで有名です。日経ビジネス99/3/1号に、サービスについて「なるほどなぁ」と感じることを話されています。

「今日の料理は本当においしかった」お客様がそう言って帰られるときは、喜べません。料理はコックさんが作るのであり、サービス係が高い人件費をかけて給仕している意味がありません。「ワインがおいしかったよ」そう言われれば、レストランの価値はなかったのかということになります。おいしいワインはそれを作った醸造家が偉いのです。サービス係が何をお客様に与えられたかという観点では、こうした反応では不十分です。「今日はとても楽しかった」そう言っていただけるときが成功したときです。いい時間を過ごしていただけたということを表しています。サービスというのはお客様に「心地よさ」を感じていただくことです。料理を運んだり、ワインの栓を抜いたりというのは「作業」にすぎずサービスではありません。よく犯す間違いは、作業をサービスと勘違いすることです。マニュアルで作業を細々と規定しても、お客様の満足にはつながりません。
---中略---
コックさんが製造担当であるとしたら、ウェイターは営業担当です。お客様の好みをくみ取り伝える役目にならなければなりません。ところが製造の論理をお客様に押しつけるだけになりがちです。料理を運んだときに、フランス語の名前を並べたり、ソースがどうの素材がこうのと。これは作り手の自己満足ではないでしょうか。本当は、お客様の食べたい料理を聞いて、厨房にある素材とコックさんの腕を考えて、できるできないを即答できるぐらいになりたいものです。---後略---

ヨーロッパ主導の「ISO規格」がよく話題になっていて、企業はISOの認定をとることに必死のようですが、マニュアル命の「ISO規格」は、田崎さんがおっしゃるように、「作業」と「サービス」を取り違えているように感じます。

後半の部分は、頭が痛いような指摘です。これを読んでいる「自称建築家」の方々もズキッときませんでしたか ???  コンセプトがどうの、軸線がどうの・・・それは、胸にしまっておいて口に出さないでくれ

それにしても、田崎さんがおっしゃるようなサービスを提供する店ってどこ ?
でも、お礼の言葉を使い分けることができるようにならないと恥ずかしくて行けないな。
「におい」と「香り」の区別はつけられるんだけど・・・


1999/04/05 建築賞について

先日、友人が遊びに来たとき建築賞の話になって

「その賞をとったら、賞金は沢山貰えるの ?」
「いやぁ、出ないけど・・・ん〜・・・・名誉かな」
「名誉 ?!」 (けっ、名誉で喰っていけねぇだろ←たぶん心の中でこう言ってた)
「賞状くらいは貰えるよね」
「・・・・」 (紙喰って生きれりゃ〜世話ねぇよ←聞こえたような気がした)

そうなんだよね、時間とお金と手間をかけて、いくつもの賞に応募するだけでも大変です。パネルを作ったり、文章も考えないといけないし、写真を台紙に貼るのも一苦労。賞をとったらとったで、発表の準備をしたりと・・・色々する事がいっぱい(まぁ、とってからのは、喜びでもあるが・・・)

お金がでるわけでもなく、それをとったからって仕事が増えるわけでもなく、設計料が上がるわけでもない・・・・やっぱり名誉のため ? どうゆう理由で応募するんだろう ? 自分がどの辺りの位置にいるかを測る物差しでもあるのかなぁ。設計したものを他人に評価して貰うことに意義があるのかもしれないし、設計して監理までしていると、のめり込んでしまって、その建築物のデザインや性能といったものを、客観的に見ることができなくなってしまうから・・・という理由もあるような気がする。

     こういうことなんですけど・・・・ねっ、藤田さん !


1999/04/19 いい設計、いい建築ってどういうもの ?

いい設計、いい建築ってどういうもの ? ・・・と、聞かれることがあります。

お客さんが満足するものが「いい設計」か、というと違うように思えます。住宅メーカーの建物でもお客さんが満足している場合があります。というか、殆どが満足しているのでしょう。でも、それは「いい設計」だとは言えないと思います。彼らは「今年のニューモデル」とか「最新型○○」とか宣伝しています。・・・ということは、それは「商品」です。どういう敷地にでも対応できるように雛形を作ってそれを修正して設計と呼んでいます。「いい設計」でそんなことはできないでしょう。敷地条件というのは大切で、道路、隣地、周囲の家の窓位置などの条件を考えた上で、ベストを引き出すのが「いい設計」でしょう。でも、それだけでもないような気がします。
住宅を工務店などが設計した場合、設計図で A2(594mm×420mm)で10枚あればいい方でしょう。私の設計図は A1(821×594)で30〜40枚くらい。けれど、図面枚数が多いからといって「いい設計」でもないのですが。しかし、詳細まで設計してある方がいいに決まっています。もや〜っとした仕様では、いい材料なのかも分かりません。
「コンセントを一杯付けておいて欲しい」といわれることがあります。でも、数の問題ではなくて、しかるべき位置にしかるべき数を配置することが大切です。この「しかるべき」が「いい設計」の重要なポイントだと思っています。

「しかるべき」というのは、お客さんの行動や生活を予想するところから決まってきます。「将来ここに家具を置く可能性がある」・「将来家族はこう変化する」・「将来ここは汚れる」・・・など、幾つ予想を織り込めることができるかで、建物の寸法や材料が決定されます。そうすれば、多分「いい設計」に近づくことができるのではないかと私は思っています。


1999/05/06 「建物」と「建築」のちがい

このページでも「建物」と「建築」の違いは明確にはしていません。建築関係以外の一般の方も読まれることを予想して、だいたいで使い分けしているくらいです。
でも、私の中では、きっぱりと区別されています。

「いい設計」はお客さんベースの見方、「建物」と「建築」は設計者側の見方だと思っています。設計事務所が設計したからといって、それが「建築」だとは思っていません。殆どが「建物」だと思います。雨風を防げて住める最低条件を持つものが「建物」。簡単にいえば文字の通り建っている物です。「建築」はもっと何かのスパイスがかかっていることが感じられるものをいうはずです。心がこもっている・・・でもいい。チャレンジ精神でもいい。思考を織り込んでもいい。いろいろな「何か」です。

しかし、世間ではそれを勘違いして、「奇抜な」を「建築」の必要条件だと思っている節があります。確かにそれは、「何かのスパイス」ではあるかもしれない。でも、「・・・したかった」だけの場合が殆どのように思えます。

「ガラス張りにしたかった」・「コンクリート打ち放しにしたかった」・「ま〜るくしたかった」・・・など、個人的な趣味です。それでは「感じる」ことができないでしょう。かつての建築家達が設計したものは「迫力」がありました。「創りたい・・・創りたい・・・創りたい・・・」という意志が伝わってきました。現在の建物は「小綺麗」ですがあまり「迫力」は感じられなくなってきました。時代の流れなのでしょうか・・・

        でも、私は「建築」をつくりたい !


index ←page2