世の中にもの申す 30 |
ウェブサイトの間違い
『旧諸江屋』という金沢のひがしにある茶屋を改修しました。この間、友人などから『ウェブで調べたのだが』・・・と質問が相継いだ。どうもその質問内容がおかしいので、どういうサイトをみたのか調べてみようと思いました。検索すると『Higashiyama
project』というのがひっかかりました。一枚のウェブページの中でこれほどの間違いがあるのは珍しい。しかし、あまりにも自信ありげに書いてあるので、サイト管理者に指摘した。しかし、あいかわらず修正されないのでここに間違いを公開します。
東山茶屋街の入口に建つ旧宿屋。 風雪の多い風土性を反映し、加賀町家独特の型としては開放的な二階両袖が道路に突き出した骨太の袖卯建(そでうだつ)、一階下屋先のさがり。また、正面の柱間に仕込まれた格子状の木虫籠(きむすこ)がある。『雅』の京町屋にくらべ骨太ながらも細部での律儀で繊細な作りが見られる感じがする。 ↑ 旧宿屋ではない。茶屋である。その前は『廓』。 加賀町家ではない。茶屋である。 袖卯建は付いていない。何故なら、町家ではないからである。 さがりは付いていない。何故なら、町家ではないからである。 骨太ながら。構造部材をとっても、部材をとっても、京都より骨太に感じるところはない。どちらかというと『ひがしの茶屋街』の方が、骨細だと私は思う。 謎の一本 屋の正面に一本だけ植っている柳。現在は道路としてふさがれているが、卯辰山から鴬町、東山茶屋街を流れ浅野川に注ぐ矢ノ川が通りの下を流れている。その昔、用水ぞいに柳の並木あった。その名残りの一本である。 ↑ 明治38年の写真では、用水沿いではなく、茶屋の通りの真ん中に桜と柳が交互に植わっているのが見てとれる。現在植わっている柳は、何年か前に修景として金沢市が植えたものである。ひがしの廓は、江戸時代後期(文政3年・1820年3月25日開設・8月24日開業許可)に創立されている。それ以前の建物を一掃して再開発された街である。文化8年(1811)の町絵図では、現在の道路と違う割になっていて、それをみると用水沿いに道路があったことがわかる。そのとき用水沿いに並木があったかどうかはわからない。 紅殻格子 一階側面に仕込まれた紅殻格子は木虫籠(きむすこ)と呼ばれ、建物の内側から外を伺い見やすく逆に外からは中の様子を見られにくくした工夫がされている。「紅殻格子」とは防腐剤として漆にニ酸化鉄をまぜたものを塗り固めた格子である。 ↑ 漆は外部に塗ると太陽光のため白く変色する。外部のきもすこは、弁柄と柿渋を混ぜて塗り、仕上にもう一度柿渋で押さえたものである。弁柄だけを塗ると、木部表面に付着するのみで、こすれると取れてしまう。そのため、柿渋を塗り、表面を押さえる。近年、外壁や雨戸、キモスコなどの延焼の恐れのある部分は、弁柄塗りの前に『難燃塗装』を行うように、行政より指導される。 弁柄(べんがら)は、紅殻とも紅柄とも書かれる。金沢市では、『弁柄』という漢字で統一されているため、私も『弁柄』と標記している。 このサイトでは、ひがしを調査してまとめたように書いてあるのですが、あきらかに付いていない部材があたかも存在するように書いてあるところからみると・・・。 ウェブサイトの情報は、正しいと思わないのが正しい ! |
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