3)罹病期間
耳管開放症の自然経過をおおまかに把握するために,罹病期間を確認した.
4)体重減少
耳管開放症の原因の一つと考えられている体重減少の有無を確認するために,受診日
から1か月内の体重減少の有無を確認した.
5)基礎疾患
基礎疾患の有無を確認した.
6)インピーダンスオージオメータによる評価
可能な症例ではインピーダンスオージオメータをマニュアルのレフレックスモード
(1トレース)に設定し,過呼吸をさせ呼吸による鼓膜の病的運動を記録した.安静時の
記録をコントロールとした.正常者では過呼吸時に鼓膜の病的運動が記録されないことを確認した.
オージオグラムはリオン社製AA61BN,インピーダンスオージオメータは
リオン社製RS20を使用した.
7)副作用
内服後に出現した副作用を確認した.
1)自覚症状
耳閉感,自声強聴の変化を次の4段階で評価した.
改善:自覚症状が消失した場合(→Grade 0).
やや改善:自覚症状の程度が軽くなった場合.(Grade3→2,1.Grade 2→1)
不変:自覚症状が変わらない場合.
悪化:自覚症状の程度が重くなった場合.
2)インピーダンスオージオメータによる他覚的評価
可能な症例では,インピーダンスオージオメータで過呼吸時の鼓膜の病的運動の消失を記録した.
対象患者は88例で,年齢は15歳から86歳(平均51.0±16.2歳)であった.
性別は男性30名,女性58名であった.患側は右側31例,左側30例,両側27例であった.
男性は30〜50代に多く,女性は30〜60代に多い傾向が認められた.患側については
左右差は認められなかったが,両側の症例は30〜40代の症例に多く認められた.
重症度別内訳はGrade1が30例,Grade2が57例,で Grade3が1例であった.
体位変換による症状の変化は,81例に施行可能であり,65例が体位変換により症状の軽快を認め, 16例は不変であった.
罹病期間は1日から10年(149.6±518.1日)であった.今回の症例数からは,耳管開放症の 自然経過を把握することはできないと考えられた.
体重減少の認められた症例は13例で,1Kg から6Kgの体重減少があった.
基礎疾患が認められた症例は13例認められ,その内訳は鼻アレルギー,血管運動性鼻炎,高血圧, 原田氏病,リウマチ,頚椎疾患,糖尿病,喘息,良性発作性頭位眩暈,悪性リンパ腫であった.
初診時にインピーダンスオージオメータが施行できた症例は39例あり,全例に過呼吸時の鼓膜の 病的運動が確認された.
受診日以降来院せず経過不明の21症例,嘔吐のため内服できなかった1症例の合計22症例を 対象から除外した.自覚症状の改善度は66症例について行った.投薬後にインピーダンス オージオメータを用いて,鼓膜の病的運動の変化を確認できた症例は,39例中24例あり, 他覚的所見の改善度はこの24例で行った.
1)自覚症状の改善度
自覚症状の改善度の対象となったのは66例であった.自覚症状が改善した症例は36例(54.5%),
やや改善した症例は14例(21.2%),症状不変の症例は16例(24.2%),悪化した症例は
認められなかった.改善,やや改善をあわせた症例は50例(75.8%)であった.効果発現日は43例に
聴取可能であり内服1日目から21日目まで平均5.0±4.2日であった.Grade 3の症例の症状は
不変であった.
体重減少の認められた13症例中,自覚症状の改善度の対象となった症例は11例あり,
8例が改善し,2例はやや改善し,1例は不変であった.
2)他覚的所見の改善度
他覚的所見の改善度の対象となったのは24例であった.8例(33.3%)に過呼吸時の病的な鼓膜の
運動の消失を認め,9例(37.5%)に病的な鼓膜運動の改善を認め,7例(29.2%)では不変であった.
鼓膜の病的運動の消失および改善した例は計17例(70.8%)であった.
体重減少が認められた13例中,他覚的所見の改善度の対象となった症例は4例あり,
2例は過呼吸時の病的鼓膜運動の消失を認め,2例は改善を認めた.
自覚症状の改善あるいは軽快が認められた54例中,3か月以上の経過を確認できた症例は
15例(改善例9例,やや改善例6例)であった.改善例は3か月から9か月間症状は消失しており,
やや改善例6例中4例は内服後2週間から1か月の間に症状は消失し,2か月から4か月間効果は
持続している.やや改善例のうち1例は,やや改善した状態が4か月持続している.
やや改善した1例で,2か月後に再発し,血流改善の目的でイブジラストを7日間投与するも
症状の改善は認められず,再度加味帰脾湯を投与し1週間の内服で症状の消失を認めた.
内服後の副作用は3症例(4.5%)に認められた.内服後ふらつきが出現した1症例,服用3日後に
上半身の掻痒感が出現し,服用中止し掻痒感は改善し耳閉感は改善しなかった1症例,
内科で利尿剤服用中で本剤服用2日後から尿量減少をきたした1症例であった.
内服後耳管狭窄症または滲出性中耳炎に移行した症例は認められなかった.
1)耳管あるいは耳管咽頭口を機械的に狭くする方法,
2)耳管周囲の血流を増加させる方法,
3)鼓膜を穿孔させ,鼓膜の病的振動を起こさなくする方法,
4)鎮静剤の投与である.
Bezold の方法や最近報告されている耳管咽頭口へのシリコン注入は1)の方法に分類されるが,
この方法は作用が弱ければ症状は改善せず,作用が強すぎれば滲出性中耳炎を起こす可能性があり,
経験に基づいた手技が要求され,一般の耳鼻咽喉科の外来診療には導入されにくい.
2)の方法は熊澤が本症と自律神経との関係に着目して報告した星状神経節,
翼口蓋神経節ブロックに代表される方法であるが,効果が一過性であることなどから
一般に行われるには至っていない.3)の方法は耳管に対する治療法ではなく,
症状を軽減させる方法で根本的な治療とはいいがたく,現在ほとんど行われていない.
4)の方法は文献的には記載があるが作用機序の点から疑問視されている.
今までは,一般外来診療で簡便に行える耳管開放症の有効な治療法は見当たらず,
本疾患は難治とされてきた.
加味帰脾湯は人参,白朮,茯苓,黄耆,当帰,遠志,酸棗仁,竜眼肉,甘草,木香,大棗,
生姜の混合生薬からなる帰脾湯と柴胡,山梔子の混合生薬の合剤から抽出された薬剤である.
その効能効果は虚弱体質で血行の悪い人の貧血,不眠症,精神不安,神経症の諸証とされている.
適応する病態は,精神的ストレスによって消化吸収機能が障害され全身の機能低下を
ひきおこしたり,逆に消化器系の機能低下から精神,神経系の失調を生じるもので,
全身の機能状態,栄養状態の衰弱症候がみられるが,とくに脳の興奮性の失調が主体となる.
すなわち,脳の興奮性過程の低下(気虚)と抑制性過程の低下(心血虚)が
同時に発生する状態とされている.補気健脾の黄耆,人参,白朮は消化吸収を促進し代謝をたかめ,
補血の竜眼肉,遠志,酸棗仁,当帰は滋養強壮に働いて,全身の気血両虚の状態を改善する.
また,補気の黄耆,人参,は脳の興奮性を高めるのに対し,安神の茯苓,竜眼肉,遠志,酸棗仁は
鎮静,催眠作用をもち,白朮も鎮静作用をもつ.一般的には代謝促進作用を有し,精神不安,
神経症,不眠症などの改善を目的として処方されている.
本来は上記の神経症状を改善させるべく処方されていた薬剤であるが,近年増田は
アルコール依存症の認知機能障害に対する本剤の効果を報告しており,
本剤が末梢血流を改善する作用を持つという報告もなされている.本剤の副作用に関しては
甘草を含むため長期連用時は偽アルデステロン症などの電解質異常があげられている.
今回加味帰脾湯を耳管開放症の治療に使用するきっかけとなったのは体位変換により
本症の症状が消失することに着目し,末梢への血行を増加させる薬剤が治療薬剤になりうるという
仮説に基づき第一症例に加味帰脾湯を処方し3日後に症状の消失をみた経験である.
今回の症状の改善が加味帰脾湯のどの成分がどのような部位に効果をもたらした結果かは
不明であるが,本症に有効な薬理効果を持つ可能性のある成分は白朮(末梢血管拡張作用),
当帰(血管拡張作用),人参,柴胡(脂質代謝促進作用),甘草(ステロイドホルモン様作用,
脂質代謝促進作用),酸棗仁(中枢抑制作用,鎮静作用,静穏作用)と考えられる.
本剤は臨床的には抗ストレス作用を持ち,併せて末梢への血流を増加させる作用を持っている.
文献的に耳管開放症の誘因の一つに疲労があげられており,この点では本剤の持つ
抗ストレス作用が効果をもたらしたと考えられる.また本疾患の病態が自律神経障害による
耳管周囲の血流障害に起因するものであるなら,本剤のもつ末梢への血流増加作用が
効果をもたらしたとも考えられる.
また今回の検討では再発例が 1例認められたが,脳血流を増加させる薬剤の投与では
ほとんど症状の改善は認められず,加味帰脾湯の再投与にて症状の改善を認めた.
耳管周囲の血流に関しては,外頚動脈の血流に依存するため内頚動脈から脳実質の血流を
増加させる薬剤の使用では効果が期待できないのかもしれない.
症状が改善した症例は1週間の本剤の内服で,ほとんど症状の消失あるいは改善を認めており,
服用中止後も長期間症状が消失しており,一般の薬剤の薬理効果とは異なる印象を受けた.
今回は「証」の検討は行っていないが,耳管開放症の疾患そのものと特定の「証」との関連も
示唆される.本剤の薬理効果に関しては今後の研究が望まれる.
耳管開放症の治療は今までは局所治療や手術療法が主体であったが,
有効な薬物療法があれば一般の外来診療に大きな恩恵をもたらすと考えられる.
今回著者のおこなった 加味帰脾湯の耳管開放症の自覚症状の改善度は75.8%と高く,
悪化例も認められず重篤な副作用も認められなかった.症例数は少ないが他覚的評価でも
ほぼ同様の結果が得られている.
しかしながらこの改善度をそのまま有効性にむすびつけることはできない.ある疾患に対する
薬剤の治療効果を客観的に評価する場合,考慮しなくてはならないことは,
疾患の自然経過の不確実さ,疾患の重さや形の多様さ,個体のバラツキ,
プラセボ効果の4点である.
今回著者の行った加味帰脾湯の耳管開放症への効果の検討は,
コントロールをとっておらず薬剤の有効性を検討するためには不十分である.
しかしながら薬物療法による耳管開放症の治療に関してはオープントライアル
(二重盲検法の前段階のトライアル)もほとんどなされていない.今回行った検討は
オープントライアルであり,その目的は薬物の有効性の検討ではなく,
薬物療法の可能性の提示である.よって薬物の有効性を求める統計学的な検定は一切行っておらず,
薬理作用も推定実証がなく推定である.耳管開放症の薬物療法に関しては現時点では
対照となる薬物(同一の味覚を持つプラセボ薬や治療に有効な薬物)は存在せず,
疾患の症状が重篤ではないため当施設では二重盲検法を行うことは難しいと考えられた.
耳管開放症の経過はまだ充分な解明がなされていないが,今回の検討で得られた
75.8%の改善率のなかには耳管開放症の自然経過中に治癒した症例やプラセボ効果で
治癒した症例が含まれている可能性は否定できず,薬剤としての有効性を確立するためには
二重盲検法による検定が必要であると考えられる.
耳管の生理や病態に対して多方面からの検討がなされつつあり,
耳管開放症の病態の解明や治療法の確立が行われつつあるが,今回の結果から加味帰脾湯が
耳管開放症の薬物療法として使用しうる可能性が示唆された.