世の中にもの申す 28 index

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今後の住宅について

住宅メーカーのCMで『100年住宅』とか『住宅はテクノロジーです』などと宣伝しています。

僕が生まれてものごころついた時は、たかだか40年くらい前のことです。テレビはなくラジオの時代です。電話は『呼び出し電話』をいう言葉があって、緊急時のために近所にちょっと裕福な電話を持っている家の番号を使わせて貰っていた時代です。電話がその家にかかると呼びに来て下さるわけです。洗濯機も・・・どうだろ ? 洗濯板はまだ使っていたはずです。家に風呂があるなんてちょっといい家でした。掃除機は無いよな。冷蔵庫は・・・有ったかも知れません。

それが、40年前の一般家庭の話です。比べると現在の暮らしは想像できない進歩を遂げています。進化は加速度的に進んでいますから、こういう変化の量はこの先20年くらいで到達できるのかも知れません。はたして、何が新しく登場してくるのでしょうか ?

昨年の夏に、NKEクンという東京の大学院生がオープンデスクでうちに来ていたとき、私自身の仕事が無かったために、ある住宅メーカー主催の学生コンペ(設計競技)があったので、それを指導しました。その課題が『60年住む家』でした。コンペは学生向けなので、それようにコンセプトを練ればよかったのですが、こういう要望がお客さんから出る可能性は高いので私自身の課題として、興味あるところでした。

さて、60年住む家を造ろうというときにハードウェアとしての住宅を設計することも大切なのですが、ソフトウェアとしての住まい方を考えることも重要なファクターとなってきます。

まず、そちらから考えてみましょうか ?
おじいちゃん・おばあちゃん・若夫婦・小学生の男の子と中学生の女の子として家族構成を考えると、60年後には小学生の男の子がおじいちゃんになってしまっているわけです。その住宅では現在10才の男の子が主役というわけです。その子の両親もおじいちゃんもおばあちゃんも亡くなってしまい、お姉ちゃんは多分お嫁に行っておばあちゃんになってしまっています。

その男の子が実家に戻る可能性はどうでしょう。以外とそのお姉さんがずっと実家にいたりするかも知れません。都会へ行って就職するって事自体無くなっているかも。その頃になると仕事場を選ぶ必要が無くなってより気持ちよく暮らすことのできる、田舎に人気が出てしまって、窓を開けるとすぐ隣の家の人と目が合うような新興住宅地の人気はがた落ちで、周りの家が残っているかも怪しい。みんな田舎に行くものだからその住宅地の地価も下がってしまい。その息子さんはまわりの土地を買って畑を耕していたりして・・・。

これまでの数十年の過去よりもこれからの変化が激しいとするならば、『建築』というハードウェアは付いていけないことだけは確実だと想像できます。100年どころか60年いや30年先の生活さえ想像することは不可能だとよく考えれば実感できるはずです。

そのハードウェアを60年もたして使い続けることについてはどうでしょうか ? 法隆寺は木造でも1000年以上の歴史を重ねています。石やコンクリートのように硬い材料でなくてもそれは不可能ではないようです。しかし、現在の造り方のように木を外部からも内部からも囲ってしまって呼吸できないようでは60年も保たないでしょう。コンクリートにしても100年経った建物は世界に何個存在しているのでしょう ? 都市基盤を形作る土木構造物は100年オーダーでの設計をしているといわれてきました。しかし、新幹線のトンネルのコンクリートが剥がれ落ちたり高速道路の支柱ががぽっきり折れてしまうところをみると、材料の強度はあるかもしれないけれど施工がマイナス要因となって結局は100年どころか数十年のオーダーでしか保たないということでしょう。

頑丈に設計し、丁寧に施工することで、仮に躯体(くたい/建物を形作る構造の骨組のこと)がもったとしても、その寿命の間に設備配管などは一度以上の取替工事をする必要があります。そういうことが簡単にしかも安価にできてこそ、『テクノロジーです !!!』と威張れるのではないかと思うのです。床暖房やペアガラスを使ったサッシュをテクノロジーだとはまさか呼んではいないでしょうね。精度のよいプレファブリケーションに徹した骨組などは技術者の自己満足・・・だというのはいいすぎでしょうか ?

今後数十年で変化しそうな設備機器についてさえ私達設計者は予想して建築を造ることさえできず、そういう話題さえ議論することもない現状はまずいのではないかと感じています。例えば現在の熱源は灯油・ガス・電気の三種類で成り立っています。そのうち大気汚染や二酸化炭素増加の原因の一つである自動車に水素電池が採用されるのは目に見えています。それが住宅の熱源として使われる日も何十年か先ということになります。設備機器が総入れ替えになるって事です。それが想像できても、まだ無い商品に対応して建築するわけにも行かず・・・。まぁ、その時になったら考えようか・・・ということですね。

そういう現状で、『100年住宅』とか『住宅はテクノロジーです』という宣伝は何の意味を持つのでしょうか ?
ユーザーは本気で100年住むつもりでいるのかも疑問ですし、最低二・三回くらいの大改修を予想しているのか疑ってしまいます。

自然の素材・・・例えば『石』や『木』は時間と共に味わいや風格が出てきますが、現在使われている金属素材やサイディングなどの材料は、10年・20年でなんともみすぼらしく貧乏くさく変わり果ててしまいます。まぁ、ある意味100年経ったら別の意味で面白いかも知れませんが・・・。

 私は100年どころか60年住むという条件が出されたときにその設計を請けるかどうか悩むと思います。ただ、今持っている建築に対する意識を変えないと実際にそれだけの期間住めないし、お客さん側にも覚悟がいるのかもしれません。


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