平成14年6月29日、大阪市大坂国際交流センターで開催された第64回耳鼻咽喉科臨床学会で、「耳管開放症の診断と治療」のパネルデイスカッションでが行われました。 司会は小林俊光教授(東北大学)、高橋晴雄教授(長崎大学)が担当され、パネリストとして、山口展正先生(疫学、難治例、診断的治療法)、守田雅弘先生(病因、耳管機能検査、手術治療)、矢野寿一先生(画像診断、手術治療)、金子明弘先生(診断、耳管機能検査、保存治療) 、石川 滋(病因、漢方薬の効果)が発表を行いました。 その発表要旨が耳鼻咽喉科臨床に掲載されましたので、耳鼻咽喉科臨床学会から掲載許可をいただき、 転載いたします。 掲載誌:耳鼻咽喉科臨床 補册 108:115-119,2002
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1 概要・治療的診断・難治症例
山口耳鼻咽喉科
耳管開放症は著明な耳閉塞感、自声強聴、呼吸性耳鳴のみでなく頸凝り・肩凝り、頭痛をはじめその他多彩な苦悩に満ちた症状を生じるため耳鼻咽喉科医が適切に診断しなければならない疾患である。しかし耳管開放症の症状は主観的な表現が多いため、気のせい、精神的なものとして取り扱われることも多く、我が国、欧米においても耳管開放症は稀な疾患として考えれていた。決して稀ではなく日常茶飯事にみられる疾患でありその実態がまだ理解されていないのが現状である。その原因として従来からの固定概念に大きな要因がある。つまり鼓膜、聴力ともに正常であれば特に問題なしと見逃されてしまう。感音難聴があれば症状の原因が内耳・後迷路障害に、鼓膜が内陥していれば耳管狭窄症として決めつけられてしまう。耳管開放症は常に耳管が開いているとは限らず音響法、インピーダンス法にても典型的パターンを示さないこともよくみられる。
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2 耳管開放症の病因、診断、治療
箕面市立病院耳鼻科、大阪大学耳管専門外来 (病因)耳管開放症128例中、自声強聴や耳閉塞感以外に耳鳴り、難聴などのいわゆ る蝸牛症状が半数以上の例で、ふらつきなどのめまい症状を呈する例が約40%あり、 肩こり、頭痛を併せ持つ例も約半数に認められた。耳の症状は臥位や頭部前屈姿勢で 改善するのが特徴で、耳管開放症における病気の本態は、耳管峡部近傍の軟骨部耳 管を中心とした内腔の拡大によることが演者らの内視鏡を用いた耳管内観察や小林ら の耳管周囲の高分解能CTscan検査でわかっている。その成因としては、(1)耳管周囲の 脂肪組織の容量縮小(2)循環不全による乏血状態(3)腎不全など全身的要因による水分 不足などが想定できる。これらはいずれも耳管峡部近傍の耳管軟骨への組織圧の低下 を生じ、安静時にはほとんど閉鎖しているはずの耳管内腔の拡大・開放をもたらすと考 える。実際の患者例では、胃や他の消化器手術後やダイエット、ストレスなどに起因する 急激な体重減少が誘引となっている例が特に男性に多いのに対して女性では明らかな 原因がなく、男性よりもやや若い30歳台から40歳台にかけて多く、なおかつ男性よりも 多く認めた。また、本例では、起立性低血圧や自律神経失調症などの所見を特に、ダイ エットや合併疾患に関連した短期間での著明な体重減少経験例に多く認め、痩せの指 標となるBMI(Body Mass Index)が低い、痩せの程度がひどい例よりも明らかに多くなっ た。めまい随伴例では、眼振は注視・頭位ともほぼ陰性所見であったが、重心動揺検査 で比較的急性期の例、慢性期の例とも各々メニエール病の同様の時期に類似の異常所 見を呈し、内耳障害と関連があることも可能性として否定できないと考える。 (診断)耳管開放症の診断は、内視鏡による鼓膜の可動状態や耳管咽頭口部形状の観 察などでも不可能でないが、耳管機能検査を施行すればさらに確定的となる。耳管機能 検査では、大久保らの音響耳管検査でのスキースロープ様の曲線も診断的価値がある が、耳管が開放しているために嚥下時の音圧上昇がなく陰性を示す例や、1回の嚥下ご とに非嚥下時の音圧を示すベースラインが大きく変動する例も半数以上に認め、耳管開 放症の音響耳管検査ではベースラインの音圧を指標に検査結果を判定する必要がある。 私どもが重点をおいているもう1つの検査法は耳管カテーテルによる耳管通気度検査法 で、耳管の通気圧を測定しながら中耳圧のモニターを行い、中耳圧の変化する時点の 通気圧でもって耳管開大圧(kPa)としている。客観的に耳管の通気度を測定でき、特に 耳管狭窄症との鑑別に有用で、耳管開放症の耳管開大圧は大部分1kPa前後で、耳管 狭窄症では、ほとんどが5kPa以上を示す。 (治療)基本的には投薬治療を行い、保存的治療に抵抗を示すものには処置治療を、さ らに難治性のものには手術治療を行っている。投薬治療には耳管周囲の血流を増やす 目的でジピリダモールや漢方薬の加味帰脾湯、低血圧症や自律神経失調症の対症療 法として塩酸ミドドリンやトフィソパム、メシル酸ジヒドロエルゴタミンなどを用い、特に女 性に有効例を多く認めている。外来における処置治療ではメロセルを耳管内へ咽頭側 から挿入し著効を得ている。手術治療では、耳管内粘膜下への自家脂肪組織の注入治 療を行い、手術直後はほぼ全例に著明な効果を認めている。自家脂肪を用いるので、 拒絶反応の可能性もなく将来的にも有効な治療法と考えるが、比較的長期成績でみる と1回の注入治療だけでは全く効果のない例と十分効果のある例とに分かれ、手術操作 の違いで効果に差が認められたり、以前にアテロコラーゲンを注入した例などでは脂肪 組織の生着が不良であった。このような例では特に小林式耳管ピンの鼓室側からの耳 管内挿入が効果的であった。今後このような治療法を組み合わせて治療を行えば、8 0%以上の例で治療可能と考えられる。
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3 画像診断と手術的治療
東北労災病院耳鼻咽喉科 耳管疾患の画像診断は古くより試みられ、近年はMRIやCTの応用も見られるが、耳 管開放症の画像診断の報告は少ない。耳管の走行が中耳から鼻咽腔に至るまで直線で ないことが、従来の2次元CTによる評価を困難なものにしていた。われわれは最近可 能となったCTの3次元再構築により、耳管開放症の耳管形態を検討した。即ち、中耳 ターゲットCT撮影を施行し、1耳につき80〜100枚の画像をワークステーションに転送。 次に3次元的再構築を行い、耳管の走行に沿って切断面を設定し、さらにこれと直行 する任意の部位での断面像を作成、得られたreformat像からさらに耳管全長を1ミリ 間隔にスライスした約50枚の耳管CT画像を作成した。その結果、耳管開放症では正常 コントロールと比較して、耳管内腔容積が有意に大きく、撮影体位が症状の出にくい 仰臥位であるにもかかわらず、重症例では閉鎖しているはずの軟骨部最狭部において も耳管腔が開存していることを画像として示した。また、一側性の耳管開放症では、 症状のない他側にも患側と類似の解剖学的な異常所見が見られることが多かった。 われわれは本症に対して、軟骨片やわれわれが設計したシリコン製耳管ピン(高研) を耳管腔内に挿入する術式を行ってきた。現在では耳管開放症に対しては耳管ピンを 主に使用している。耳管が仰臥位以外ではほとんど常に開放している、いわゆる完全 耳管開放症を適応としている。他覚的には顕微鏡下または内視鏡下に鼓膜の呼吸性動 揺が顕著に観察される例がよい適応となる。先に紹介した耳管CTも適応決定に有用で ある。 耳管ピンは全長約23mm、厚さ約1mmの緑色シリコン製である。成人は通常、外来手 術が可能で、イオン麻酔器を用い、鼓膜及び外耳道を15〜20分間麻酔する。鼓膜前上 象限に約3mmの鼓膜切開を上下方向に行い、耳管鉗子とピックを使用し切開口から耳 管鼓室口へ耳管ピンを挿入する。耳管ピンは経鼓膜的に耳管鼓室口へ挿入しやすいよ うに先端が細く、かつ反っているので、鼓膜前上象限の鼓膜切開口から耳管鼓室口を 狙って盲目的に挿入することでほとんどの場合に成功する。挿入前に細径30度斜視内 視鏡を切開口から挿入して耳管鼓室口の位置と大きさを確認しておくとさらに安心し て挿入できる。鼓膜がひ薄で永久穿孔の恐れがある場合には、前部鼓膜全層剥離挙上 後に耳管鼓室口を明視して行うこともある。 これまでに耳管ピンを挿入した完全耳管開放症例は20例25耳である。いずれも保存 的治療を受けたが、難治のため紹介された症例であった。著効を症状がほぼ消失し鼓 膜穿孔や中耳貯留液も認めない症例、有効を症状は消失しているが貯留液のために鼓 膜切開や換気チューブの留置を行った症例や症状が著明に改善したが鼓膜穿孔が残存 した症例、やや有効を症状軽快したが挿入後も明らかに症状残存した症例、無効を全 く症状改善しなかった症例とすると、著効25耳中13耳、有効8耳、やや有効3耳、無 効1耳となり、著効、有効以上は21耳84%となった。 本法は穿孔残存や貯留液など解決すべき問題点があるが、奏効例では症状からの開 放に伴う満足度は極めて高く、QOLの向上も著明である。重症例の耳管開放症に対す る治療法が確立されていない現時点では、有用な方法であると考える。
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4 耳管機能検査装置を用いた耳管開放症の診断と保存的治療
関西医科大学耳鼻咽喉科学教室 耳管開放症が最初に報告されたのは100年以上も前になるが、その病態や病因は未だ 不明な点も多い。しかしながら、耳管開放症はまれな疾患ではなく、日常診療におい てしばしば経験する。近年、耳管機能検査法が次々と確立され、また検査装置も開発 され再び注目される疾患となっている。当教室では長年にわたり、耳管機能検査や耳 管疾患に関する研究を行ってきたので耳管開放症の診断と治療について報告したい。 耳管開放症の主訴は自声強調や耳閉塞感、呼吸音聴取が一般的であるが、他に難聴や 耳鳴、鼻声や鼻すすり、鼻閉、時に鬱症状などその症状は多彩である。問診のみで診 断がつく場合も少なくはないが、やはり他覚的所見を得ることが重要と考えられる。 典型的な耳管開放症、つまり完全に耳管が開放している状態では鼓膜の視診やオトス コープによる呼吸音の聴取、あるいは体位変換による症状の改善などから確定診断が 得られる。しかしながら、耳管の閉鎖不全により耳管が開放したり、時に閉鎖した り、あるいは耳管の開放時間が異常に延長するような耳管開放症がその多くを占めて おり、このような例では、鼓膜の内陥やティンパノグラムでCタイプ、純音聴力検査 で伝音性難聴を示すことも多い。その結果、耳管狭窄症と誤って診断されるケースが 見受けられる。従って、正確な診断を行うには多角的に検査を行う必要がある。 現在、耳管機能検査装置が市販されているがこの装置を用いた耳管開放症の診断につ いて述べる。耳管機能検査装置で行える検査には耳管鼓室気流動態法( TTAG )、音響 耳管法、加圧減圧法があり一部の機種では耳管カテーテル通気法も行える。これらの うち、比較的頻度が高いと思われる、TTAGと音響耳管法を中心に述べる。完全に開放 状態にある耳管開放症、以後これを完全開放型と呼ぶが、この完全開放型の診断には TTAGが非常に有用である。鼻咽腔と外耳道の呼吸による圧変動がそれぞれ完全に同期 しており、確定診断が得られる。一方、音響耳管法では外耳道の音圧上昇の変化をと らえることから、完全開放型では音圧上昇の変化をとらえることができずに、一見、 耳管狭窄症のような検査結果となることがある。先に述べたように、耳管閉鎖不全と もいうべき耳管開放症、以後閉鎖不全型と呼ぶが、この閉鎖不全型の診断にはTTAGは 適しているとはいえない。すなわち閉鎖不全型では耳管が閉鎖している時には、TTAG で鼻咽腔と外耳道の圧変動の同期はみられない。バルサルバ法で耳管開放圧が正常よ り低くなることがあるが信頼性は低い。一方、音響耳管法では、閉鎖不全型の場合多 くの例で嚥下時の耳管開放時間が異常に延長している所見が得られる。しかしなが ら、検査中に患者が鼻すすりを行うことが多く、鼻すすり直後に音響耳管法を行うと 陰圧で耳管がロックされるため、耳管狭窄症の所見となってしまう。従って、耳管開 放症の診断にはいくつかの検査法を適宜組み合わせ、総合的に判断する必要があると 考えられる。 耳管開放症の保存的治療は薬物の内服も含めいくつかの治療法が試みられているが、 即効性のある治療として当教室ではルゴール液(複方ヨード・グリセリン)の耳管内 噴霧を行っている。その作用機序は未だ不明であるが、一週間に一度のルゴール液耳 管内噴霧で次のような治療成績を得ている。まず治療の効果判定基準として症状消失 症例を治癒、症状の消失が1週間以上持続した症例を有効とし、更に無効、自然治癒 に大別した。38症例について検討した結果は次のようであった。治癒40%、有効 26%、無効21%、自然治癒13%であった。治癒、有効例を合わせると62%に 効果を認めた。ルゴール治療に伴う合併症は一過性の滲出性中耳炎のみで、重篤な合 併症は経験しなかった。このように比較的効果が高く安全で簡便な治療法として、ル ゴール治療は試みる価値があると考える。
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5 耳管開放症の病態
金沢市立病院耳鼻咽喉科 耳管開放症患者は他疾患患者に比較して、精神的身体的にストレスが多い状態である印象があったため、他疾患の患者に比較してどのような差があるのかを検討するために、食事関係(食欲、食事、吐き気)、睡眠関係(寝付き、眠り、早朝覚醒)、末梢循環関係(顔色、頭痛、肩こり、手足の冷え、たちくらみ)、精神面(疲労感、気力、神経質)について563例(男194例、女369例)を対象にアンケート調査を行った。男性では、40、50、60代に、女性では30、40、50、60代に多い傾向が認められた。食事に関しては、男性では差を認めたが、女性では差を認めなかった。睡眠については、男女とも差は認められず、末梢循環に関しては、男女とも有意差が認められ、特に女性にはっきりした傾向が認められた。精神面については、男女とも有意差が認められた。耳管開放症患者は、他疾患患者に比較し、ストレスの多い状態あるいは自律神経障害を有している傾向があると考えられた。 耳管開放症の漢方治療 加味帰脾湯は、胃腸の弱い虚弱体質で血色のわるい人が貧血や心身の過労によって、気分がイライラしたり、落ち着きがなくなったり、元気がなく口数が少なくなったりして精神不安や神経症、不眠症をおこした時に効果がある、という薬剤であり、自律神経失調症・更年期症候群・心臓神経症・不安神経症・不眠症・健忘症・貧血症・低タンパク血症・血小板無力症・慢性胃腸炎・神経性胃炎・不正性器出血などの疾患に使用されている。保険適応になっている疾患名は、不眠症・神経症である。耳管開放症に加味帰脾湯を使用し始めたきっかけは、1980年の熊澤忠躬先生の日耳鼻の宿題報告の耳管の基礎と臨床に、星状神経叢ブロックで耳管周囲の血流を上げると症状がなくなるという記載があり、このような薬剤が治療薬剤となる可能性があると考えられ、1993年耳管開放症患者に血流を増加させる効果がある加味帰脾湯を投与して3日目に症状消失した、という経験から耳管開放症に対する薬物治療として使用している(通常は2週間の投与で症状が全く軽快しない場合は、無効と判断して いるが、患者さんの希望で1月程度内服して効果が出てくる場合が、たまにある。このような場合もあるので、無効と判定した症例でも、患者と相談の上追加投与する場合もあり、実際に1か月頃から効果が出て来る症例も存在する)。 加味帰脾湯による治療前後の比較を行うために、加味帰脾湯内服1週間後のアンケートが得られた374例(男121例、女253例)についてその結果を比較した。男 有効 86例(71.0%)効果発現 5.1日無効35例。女 有効192例(75.5%) 効果発現 4.5日 無効 61例。 加味帰脾湯有効例では、投与前に比較して、食事、睡眠に関しては女性において体調の改善傾向が認められ、末梢循環、精神面については、男女とも改善傾向が認められた。加味帰脾湯無効例では、投与前に比較して、食事、睡眠に関しては変化は認められず、末梢循環、精神面については女性において改善傾向が認められるが、有効例に比較してスコアの低下は少なかった。 今回の検討で、加味帰脾湯で耳管開放症の症状が軽快した群では、体調が改善している事が確認され、無効であった群ではあまり改善されていなかった。今回提示した結果から考えると、耳管開放症は耳管のみの疾患ととらえるよりも、ストレスがかかった状態が耳管に及ぼす一部分症と考えた方が理解しやすいと考えられ、加味帰脾湯のような薬剤が効果をもたらすのではないかと考えられる。
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